明治以前から薬局の歴史を紡ぐ、中区薬剤師会

1861年(文久元年)

医師ヘボンが来日し神奈川の宗興寺で診療を開始します。
これは日本人を対象とした病院としては一番早いもので、書簡によれば「5か月間に3500人の患者に処方せんを書いた」とされています。

1863年(文久3年)

薬剤師ジェンキンスは本国に充てた書簡に「現在、まだ横浜には薬局がありません」と書いています。

1864年(元治元年)

ハリスが居留地81番地に開業した横浜メディカルホールが、横浜市初の薬局です。

1864年5月

薬剤師コラドが96番地に横浜ディスペンサリーを開業しました。
ここまでは明治維新より前の物語です。

1869年(明治2年)

横浜市立大学医学部の創始者として知られる早矢仕有的が丸屋薬局を開設しました。日本人による最初の薬局です。
後に洋書も扱う丸善となり、薬局は横浜大空襲により消失しています。
現存する最古の薬局は馬車道通りの清水平安堂薬局です。

1870年(明治3年)

和歌山県出身の清水榮助は、江戸の薬種問屋で修業したのち、横浜・関内の日本人居住地区・馬車道に、出身地名から屋号を紀伊国屋薬舗と称し開業しました。
主商品・家伝薬「上気平安湯」を製造販売しました。

2代清水榮助…日本で初めて薬舗開業試験に合格し薬剤師では薬剤師免許状49号に登録されました。
明治26年には、創世期の日本薬剤師会で委員となり役割を果たしたということです。
神奈川県薬剤師会3代目又5代目会長として薬剤師会発展の基礎つくりに寄与しました。

1902年(明治35年)

中区尾上町1丁目5番地に横浜薬学校が設立されました。
神奈川県薬剤師会最初の事務所はここにありました。設立費用は鳥居徳兵衛(後の鳥居薬品)が自宅を提供、友田嘉平(後の三共ゾーキ)、神奈川県薬剤師会の清水栄助(当時・第三代会長)・栗原清八郎(第四代会長)・加藤豊次郎(第五代会長)らが出資しました。
加藤豊次郎は加藤昇一(第23代会長)の曽祖父にあたります。

1903年(明治36年)

中区常磐町に新築移転し横浜薬学校に改称した。
講師は無給、市内の薬業に働く者が夜学で学んだと言います。設立から6年後に東京に私立薬学校ができたことから廃校となります。
卒業生は少ないが、立派な薬業者が育ったことは関係者の誇りでした。
清水藤太郎先生…横浜が誇る大学者、薬剤師の指導者で神奈川県薬剤師会8代 会長を務めました。
谷岡 忠二先生…薬剤師活動の歴史に残る論客で中区福富町で開業されていました。神奈川県薬剤師会9代会長を務めました。

1975年(昭和50年)ごろ

中区薬剤師会発足。
それまで警察署の管内に分かれていた薬業界を一本化しました。

1993年(平成5年)ごろ

横浜市中区薬剤師会と正式に改名。